「気持ち良い」が気持ち悪い

「操体は気持ちよさで治るのだ!」
「気持ちよさを味わいなさい。」
「気持ちよさを聞き分けなさい。」
「気持ちよければ良いんだ。」
・・・操体の講習などに顔を出すと、先生方はこのような事をおっしゃいます。
私自身、講習を行う時には似たような事を言っていると思います。
それらは嘘でも間違った事でもありません。
ただ、確かにそうなんですけれども、あまりに「気持ちよさ・気持ちよさ」と連呼されるとなんとも気持ちが悪く感じてしまいます。
この気持ちの悪さはなんだろうなぁ?と常々思っていました。
私事ですが、最近娘が生まれました。
変な意味ではなく、まだ人間になりかけている段階で、とても動物に近い状態で生きています。


そんな「動物」の娘を見ていて気づかされた事、
それは不快と快は相反する物ではないんだなと言う事です。
例えればそれは、コインの裏表であったり、車の両輪の様に二つで一つで成り立っているということです。
だから「気持ちよさ」の連呼に違和感を感じてしまうのでしょう。
コインの表の話ばかり、片方の車輪の話ばかりを力説されてしまっては、コインの裏側や反対の車輪が気になってしまいます。
あまりに気持ちよさばかりを強調されてしまい、不快は必要のないもの、あってはいけないものであるような錯覚を起こしてしまいがちですが、「快(気持ちよさ)」が良きもので、「不快」が悪しきもの、という単純な事ではないのです。
裏と表があってコインが成り立っているように、快も不快も生きていく上ではどちらも同じくらい必要なものです。
そうか、不快なことを毛嫌いする事もないし、怖がりすぎる事もないんだなと。
そんなことを娘に気づかされました。
「快」と「不快」とは、ただ命がバランスを取っている状態なのでしょう。
時には不快をじっくりと味わう事も良いのかな・・・そんな気がするこの頃です。



2 Responses to 「気持ち良い」が気持ち悪い

  1. 子供に教わる大人 より:

    「そうなんですよ明智くん」
    いやー本当に実際そうなんですよ!
    コインの裏表その通りでんす。
    私も気持ちよさに呪縛されていた日々が・・。
    実際、快も不快も必要ですよね!
    すなケンさんは視点と展開が相変わらず、
    ナイスでイイッス!
    そして、長女誕生おめでとうございます。
    観察しながら愛情を注いでいるのでしょうネ。
    私も広島に行こうと思ったら行けなくなったクチです(笑)なんでしょうね広島大会・・。
    そしてブログ再開・・待ってました!!
    また宜しくお願いします。

  2. 砂金 より:

    >子供に教わる大人 さん
    ども、ご無沙汰です。(^_^)
    快・不快、どちらも実は同じものだったりするのではないだろうか?
    そんなことも思います。
    あ、広島大会、結局行ける事になりました(^_^;)

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