操体の欠点?
昔のメールを読み返している中で、目に留まった言葉です。
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最近思うのですが、
操体の致命的な欠点、それは、操体をする
人間を傲慢にさせてしまう事、自分が一番
と思わせてしまう所、特別な能力を手に入れた
ような気持ちにさせる事だと僕は思います。
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今から5年程前に操体を学ぶ方とのメールの中にあった言葉です。
なるほど、操体法の表面的な所だけを使っていると、このように思ってしまう方もいるかもしれません。
白状すると私も操体を習い始めた当初は(ほんの一時ですが)こんな気分になった事ありました。ポリポリ (^^;)ゞ
それから数年。
今回メールを読み返してみるまですっかり忘れておりました。(^_^;)
現在の私の施術を考えてみると思い上がれる要素はどこにもありません。(^o^;)
私に素晴らしい治療技術があって、私が治してしんぜよう!というのであれば思い上がる事も出来るのでしょうが、今の私はただただ本人の要求感覚を体で聞くだけ・・・まるでご用聞きのようです(^o^;)
こんな感じはいかがでしょう?(^_^;)
あ!イヤですよねぇ・・・ではこれは?あ~良い感じですか、それでは気が済むまでお供させて頂きます<(_ _)>
もちろんこんな会話をしているわけではありません。
でも操体の施術って概ねこんな感じです。
とても傲慢になれるようなものではないですね(^O^)
それに治しているのは体であって私ではない訳ですから尚更偉い気分になどなりません。
私は何も治せない <( ̄- ̄)> エッヘン!
ただただ体の素晴らしさをみせて頂くだけの私です。
ちなみに、世間一般で言われる「操体の弱点」について補足します。
世間では次のようなものが操体の弱点と思われているのではないでしょうか?
1、感覚がわからない人には使えない。
2、動けない人には使えない。
3、言葉が通じない(言語が違う、耳が聞こえない)人には使えない。
※使うという表現は嫌いですがあえて書きます。
世間の人は操体なんか知らないって!というツッコミは横に置いて(^_^;)
操体法というものを少し知っているという人であれば、おそらく上記3つに対してどのように操体を行って良いのか疑問に思う事でしょう。
私も操体をはじめたころは同じように疑問に思っていましたが、体そのものに問いかけるということがわかってくるとそれらの疑問は消えていきました。
1、感覚がわからないというのは「意識」であって「体」ではない。
2、生きている限り体は動いている。
3、「意識」との対話には「言葉」が必要だが、「体」との対話には必要ではない。
とっても簡単に書くとこんな所です。
現在操体を学んでいる方の中に、このような弱点3点セットで悩んでいる方がもし居たら、「体と対話する」とはどういう事なのか?ということを考えてみることをお勧めします。(^_^)b