操体で言う「気持ち良さ」とは
操体の本を読み、実践してみたけれどよくわからない・・・。
気持ちよく動いてと書いてあるけれど、そもそも気持ち良さって、どんな感覚の事を言っているの?
そんなお話(苦情?)をよく聞きます。
本などにも書いてあるとおり、「気持ちよさを味わう」これが操体の重要なキーワードです。
重要どころか、コレがなければ操体とは言えません。
気持ちよさを味わうことで、体は歪体から正体へと回復していきます。
とてもシンプルな話なのですが、そのシンプルさを素直に受け入れることが難しいと感じてしまう方も多いようです。
では「気持ち良さを味わう」の気持ち良さってどんな事を言っているのでしょう?
「気持ちが良い」という言葉には様々なニュアンスが含まれます。
- ストレッチのように伸ばす、痛気持ちよさ。
- ランナーズハイと言われる興奮状態や高揚感。
- ドキドキするスリル。
- 優越感に浸る。
- 暖かい。
- 冷たい。
- フワフワしてる。
- etc.
ざっと挙げただけでもこれだけ。
他にもまだまだあるでしょうが、「気持ちよさ」のイメージは多種多様です。
これだけイメージの幅が広いと、どの「気持ち良さ」が正解なの?と悩んでしまうのは仕方のないところでしょう。
各々が勝手に味わってしまっては、操体では無く、ただの運動や体操になってしまいます。
またそうなっている操体も結構見受けられます・・・
では操体で味わって欲しい「気持ちよさ」とはなんでしょう?
「気持ちよさ」という言葉だけに振り回されてはいけません。
操体で求めている「気持ち良さ」は言い換えれば「原始感覚」と言われる感覚のこと。
頭で感じるモノではなく、体そのもので感じるものです。
人によって言葉のイメージは違いますが、原始感覚に違いはありません。
原始感覚とは簡単に言えば「快と不快」という感覚。
この感覚は細胞レベルでもちゃんと存在します。
自分にとって快か不快か?それが自分にとって必要か必要でないか?という一番シンプルなモノです。
操体で味わって欲しいのは、この原始感覚なのです。
ただ、原始感覚というと何やら小難しく、高尚な感じがしてしまうため、平たく「気持ちよさ」と言ってしまうのですが、それ混乱の原因になっているかもしれません。
あまり「気持ちよさ」という言葉だけにとらわれることはありません。
まずは「なんか良い感じ」「このまま味わっていたいなあ」くらいで十分です。
そのうち感覚もハッキリしてくる事でしょう。
この感覚が原始感覚なのか?それとも頭で考えてしまっているモノなのか?
その見分け方のヒントを一つ。
それは「終わりがあるかどうか?」ということです。
「もっと」「もう少し」「いつ終わって良いか分からない」
これらは体が求めている感覚ではなく、頭で求めている欲求です。
一時的に良い感じになるかもしれませんが、後から筋肉痛や不快感が出てしまう事もあるでしょう。
体が気持ち良さを求めるのはバランスを回復するためです。
ですからバランスが回復すれば、自ずと感覚は消えていきます。
感覚に素直にゆだね、感覚の終わりと共にスーッと脱力してみる。
体の「もう良いよ」によ〜く耳を澄まして味わってみましょう。