操者は体と対話する
操体のキーワードは気持ちよさを味わうということです。
気持ちよさを味わうことで歪体から正体へと回復していく。
実に単純なことなのですが、この「気持ちよさ」が意外とやっかいなのです。
何がやっかいなのか?
それは「気持ちよさ」という事よりも、「気持ちよさ」という言葉がやっかいなのです。
操体を学ぶと「気持ちよさを聞き分け、味わうのだ」と教えられるのですが、「気持ちよさ」という言葉だけが一人歩きをしてしまい振り回されてしまう事も多いのです。
「気持ちよさ」からイメージするものは人それぞれです。
それは本来持っている感覚の他に、その方が育ってくる中で経験し学んできたものも含まれてしまうからです。
ストレッチ的な伸ばす気持ちよさ、ちょっと痛い痛気持ちよさ。
他にも暖かい、フワフワしてる、痛みそのものが気持ちいいなんて言う方も中にはいらっしゃるでしょう。
このように「気持ちよさ」のイメージは人によって様々なのです。
操体で味わうべき気持ちよさとはこれら全てを含むモノではありません。
これらバラバラのイメージを各々が勝手に味わってしまっては、操体では無く、ただの運動になってしまいます。
そして何をもって「気持ちよさ」なのか?迷っている操者も多いのです。
感覚がすぐに分かる人には操体ができるけど、そうでない人には難しい。
操体の感覚を聞き分けるのは難しいことで高度なことだ。
そんな難しい事じゃなく、楽な方に動いていけば良いんだよ。
そう思っている操体実践者も多いのではないでしょうか?
しかし、感覚の聞き分けは難しいことでも高尚なことでもないのです。
この「気持ちよさ」という言葉だけに振り回されてはいけません。
操体で求めているのは原始感覚と言われる感覚です。
それは頭で感じるモノではなく、体そのもので感じものです。
人によって気持ちよさのイメージは違いますが、原始感覚に違いはありません。
原始感覚とは人の感覚を突き詰めていったとき、最後に残る感覚で一番根元的な感覚なのです。(原始の段階で存在する感覚です)
この感覚は細胞レベルでもちゃんと存在します。
自分にとって快か不快か?言い換えればそれが自分にとって必要か必要でないか?という一番シンプルなモノです。
操体で味わうのはこの原始感覚なのです。
この原始感覚を言い換えて「気持ちよさ」と言ってしまうのですが、「気持ちよさ」と聞いたとたんに様々なイメージが膨らんでしまい原始感覚から離れてしまう場合が多いのです。
気持ちよさはありますか?と言葉でばかり問いかけられてしまうと・・・気持ちよさ?え?これって気持ちよさなのかな?ちょっと気持ちいい感じはするけど先生が言ってるのと同じモノかな?・・・
とどんどん頭で考えてしまい、体で感じることが出来なくなってしまいます。
あまり「気持ちよさ」という言葉にとらわれることなく、「なんか良い感じだなあ」「このまま味わっていたいなあ」くらいの感じでまずはいいんです。
また意識に登っていなくても体そのものは感覚を味わっているという場合もあります。
意識では特に何も感じていないけれど、体そのものはちゃんと感じているのです。
操者はそれを見極め通していけばいいのです。
操者の決めつけだ!という声が聞こえてきそうですが、これは操者が決めつけているのではありません。
その方の体が決めているのです。
当院にもいろいろな方がお見えになります。
はじめから感覚がすぐに分かる人、まったく分からない人、まじめに考えすぎてドンドン分からなくなる方、性格は人それぞれですので、それらすべての人に合わせていてはなかなか成り立ちません。
開業当初はそれで苦労しました。
性格はいろいろですが、体は実に素直です。
そのことに気が付いてからは言葉に振り回されることは無くなりました。
操者が対話すべきはその方自身ではなく、その方の「体」なのです。