体のコントロールが出来ない子供達

よーい・・・バーン!
音楽に乗せてはじまる徒競走。
必死に走る子供達・・・そう運動会だ。
先日、小学校の運動会を久しぶりに見にいってきた。
自分達もやった定番の競技や新しい競技など、子供達は台風一過で暑く強い風の中、一生懸命演技を披露していた。
子供達の「走る」姿を勉強する為に運動会を見に行ったのだが、ちょっと、いやかなり驚いた。
とにかく良く転ぶのだ。
勢い余ってコーナーで転倒というのならまだわかるのだが、そういうわけでもない。
只の直線で足がついていかずに転んでいるケースが殆ど。
あの転び方は気持ちが先走っての転倒ではなく、体をコントロール出来ずに転んでいる。


ひとり二人の転倒などは運動会に付き物だが、ひとレースに1人は転んでいるのを見ていると背中に寒いものを感じる。
また全体的に走るのが遅い。
選抜のリレーなどを見ていても「え?選抜なの?」と疑ってしまうほど遅い。
全員リレー等は、マラソン?と思うような子もチラホラ。
子供達の体力低下がテレビなどでも言われているが、目の当たりにすると心配になる。
明らかに運動能力は下がっているのに体だけは大きい。
だから余計にコントロールが効かない。
なぜそんなにコントロールが出来ないのか?
その原因は明らかだ。
生活の中で体を使う場面が極端に少ないのである。
成長過程で発達させるべき体を操る感覚を学習する機会がない。
それでも生活が出来てしまう。
親の価値観も問題だ、体を使うことの重要性に気付かず、勉強して知識を詰め込み成績を上げることの方が重要だと思っている。
子供の頃に成長させなくてはいけないのは頭ではなく、体だ
それが重要なんだと気付く頃には子供は子供でなくなっている。
時すでに遅し、生き物としてバランスの悪い人間が出来上がる。
体と心は別のものではなく密接に関係しあっている。
体のバランスの悪さは必ず心のバランスの悪さに繋がる。
町中をみても走り回っている子供や木の上に登っているような子を見ることはほとんど無い。
暗くなるまで遊んでいる子は見掛けないが、有名塾のカバンをもって自転車や電車に乗っている子はよく見掛ける。
子供達に本当に必要なことは過度の勉強ではなく、クタクタになるまで遊ぶと言うことだ。
遊びの中ではスポーツでは学べない、不規則な体の動きも学ぶことが出来る。
頭がいいという言葉は勉強が良く出来るということと同じに使われるが、体を使えると言うことも頭が良いということと実は同じ事なのだ。
体を思い通りにコントロール出来るということは脳の指令が的確に体に伝わるということ。
例えばパソコンのキーボードを打つとき「あ」と入力したのに「い」と表示されたら「アホか!このパソコン頭悪いよ!」と思うだろう。
今の子供達もそれと似たような状態になっているということに気付かなければいけない。
勉強はあとでも十分に出来る。
まずは人間として、生き物として当たり前の状態に成長出来る環境を大人達は考えてなくてはいけないだろう。



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