操体の基本とは

物事にはなんでも基本というものが存在します。
何かを習い始めるとき最初に習うものが基本です。
この 「基本」 というものは読んで字の如く、その某かの基礎や根本となるものです。
「基本=簡易なもの・わかりやすいモノ」
ではなく
「基本=核となるモノ・極意」
なのです。
例えば家をみてみましょう。
家を建てるとき、いびつな地面の上にいきなり柱を立ててしまえば、当然家は安定せずにちょっとした事で歪み崩れてしまいます。
柱が倒れないように、その上に家の重さが乗っても安定するように地面の上に基礎を作ります。
木造も鉄骨も家の強さの根幹ではありません。
この基礎が弱いモノならどんなに強い材料を使っても、その家は非常にもろくなってしまいます。
基本で習うことというのは、おそらくとてもシンプルで一見するとわかりやすいものでしょう。
しかし、それはただ単に「単純」ということではなく、無駄なモノが削り取られて本当に必要な「核となる単純」さなのです。
初心者のうちには派手な技や見栄えの良いものに目が行きがちです。
最初はそう言ったモノに気持ちが行ってしまい基本をおろそかにすることも致し方ないことでしょう。
しかし、ある程度上達していくなかで、ふと気付くことがあります。
 「あれ?!これって結局基本で習ったことか?」と。
そう言った深みが基本の中には含まれているモノなのです。
また基本とは迷いが生じたときに戻るべき処でもあります。


野球の打者が技法に走りすぎて自分のスイングを見失ってしまった、いわゆるスランプと言われるモノから抜け出すため基本に立ち返り自分のスイングを見直すことでスランプを脱出するというのは良く聞く話です。
このように基本とは上に積み上げていく為の基礎となるものであり、道に迷ったときに戻るべき入口でもあるのです。
それでは操体の基本とはなんでしょう?
「楽な方へ動いて心地良いところで2~3秒タメて瞬間脱力。」
一般の方が操体を習うとき、おそらく最初にこんなやり方を習うでしょう。
最初に習ったからこれが基本かな?と思ってしまうかもしれません。
しかし、これを操体の基本とは言えません。
「原始感覚に委ねる」
これが操体の基本であり、操体が操体たる所以なのです。
「楽な方へ動いて云々」というのは操体の基本ではなく、実は操体の元となった正体術の基本です。
橋本先生が始めた当初、操体には特別な手技があるわけではなく、手技の部分は正体術と変わらないモノでした。
その研究過程で学んだ先生方が本を出していたのでこのようなやり方が今も残っているのでしょう。
基本とは変わってはいけない基礎になるものです。
一年生で習う 1+1=2 は六年生になっても 1+1=2 です。
勉強が進むにつれて「一年生の時は小さくてわからないから1+1=2だったけど、ほんとは 1+1=5 なんだよ。六年生になると勉強も複雑になるからね。」
・・・なんていうことはないですよね?
柔道を創始した嘉納治五郎は天神真楊流柔術や起倒流柔術を学び、柔道を創始しました。
しかし天真真楊流や起倒流を学んだからと言って柔道の基本がそれらと同じということにはなりません。
嘉納治五郎が柔術の中で気付いた原理を体現していく上で、最適となるものを柔道の基本としているはずです。
操体も同じように、橋本先生が正体術や鍼灸・指圧を学んだからといってそれらと基本が同じではないのです。
先ほどの基本の定義にあてはめてみても「楽な方へ動いて・・・」の延長線上に「原始感覚に委ねる」操体はありません。
迷ったときに「楽な方へ動いて・・・」に戻っても更に迷ってしまうでしょう。
戻るべき操体の基本、それは手技のやり方にあるのではありません。
「原始感覚に委ねる」
これが操体の基本なのです。



2 Responses to 操体の基本とは

  1. お世話様です! より:

    もうう~っ!
    相変わらず砂金さんたら、いいぶろぐですっ!
    こうしてブログの中にある熱い血潮が私の体にも、マグマを吹き込んでくれます。
    本当にコツコツやりたいので、これからもご指導お願いいたします!
    子供の話、これから早速チェックしてみます。
    ありがとうございました。
    それから、絵葉書は早速飾らせていただいておりますです、ハイ!。

  2. 砂金 より:

    お世話様です! さん
    ・・・絵はがき?
    ああ、どもども(o^^o)
    コメント有り難うございます。
    ご指導だなんてとんでもない!
    一緒に楽しみましょう(^_^)b

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